このところ自分の演奏に備えたい要素として、口下手まる出しに「伴奏感覚」「伴奏的な感じ」と言ってきた事柄について、一旦まとめておく。
即興的な演奏、特にノンイディオマティック志向の中では、音色にその質を問う姿勢がおおむね自己モデルとして適う、と感じてきた。しかし昨年くらいから、「音色が呼び交わすフラットな拡がり」の先にある豊かさを捉え、そこに向かいたい気分が熾ってきた。
その豊さの所在の一つとして感じられるのが、ダイナミクスの解像度というテーマで、これには音色の問題も含まれてくる。(ダイナミクスの振幅でなく、解像度であることを強調したい)
すなわち音の表情の細やかさから生じる心の動きを、即興的な演奏は聴き手とどのように分かち合えるか、というテーマである。
ここで一つ、即興的な演奏の場合、ソロに比べて集団演奏の方が、ダイナミクスの解像度は低下しやすいだろうという考えが浮かぶ。全体のダイナミクス(の高解像度化)に寄与する動きが、個々の即興性やノンイディオマティック志向によって制限されるから。
それを打開する方向性として、自分なりに「伴奏感覚」「伴奏的な感じ」を備えたいと、稚拙な言葉で表現していたのだと思う。
そして考えを進めるならば、この「伴奏感覚」「伴奏的な感じ」は、集団即興だけでなくソロ演奏においても意識すべきテーマとなる。なぜならば、ソロ演奏においても「その音楽が備えるべき」ダイナミクスの解像度への寄与、という課題があるはずだから。
tamaru