sahoux

アート・死・鎮魂

4年に一度の2月29日、初めて降りる京王線代田橋駅。言水ヘリオさん、福家由美子さん、加藤裕士さんによる展示「ダイアリーソング」の最終日前日。17時から展示会場でトークイベント。

いつもの悪い癖で、目の前で行われているトークと並走するように自分の思念が拡がり漂い、あまりに個人的な想いでテーマ的に重なりはあっても場として共有できるか判らず、口を開かないまま帰ってきた。「アートと死・鎮魂」について、三つの想いが浮かんだ。

一つには、遺体の怖さ、動かなくなったものへの畏怖。それを避けて鎮魂に至ることが自分にはできないということ。だから自分には表現行為における鎮魂の意識というのは、よく捉え切れないのだが、自分事として考えるならば、死を抽象化する前に怖さに向き合う、言わば「アートが要請する喪の仕事」といったものが必要なのではないか。

二つ目は、昨日観た展示内容に限らず、実は自分はしばしば展示というものを「遺作」として捉えているところがあるということ。つまり展示という行為は、作者と作品を生命的に切り離す行為であり、そこは例えば演奏行為などと大きく異なる点だと思っている。

三つ目として、やはりアートを通した死の捉えということでは、アンディ・ウォーホルのことをもう一度よく考えてみたい気になった。この件はかつて椹木野衣さんの鋭い論考などもあったし、略。

tamaru
sahoux