sahoux

god blessed blog

このブログは、3年前に足を患わって安静にしていた時期に書き始めた。初回記事は、肉離れと痛風と蜂窩織炎が同時に左足を襲ったという、あまりにも稀有な当時の体験について書いたのだが、いまだにこの記事が常時アクセス数トップなのだ。だいたい音楽のことなどを書いており、身体とか健康とかの記事は少ないですよ。

tamaru

鳥五十木、鳥五十木

演奏行為を奉じる祠のような鎮静空間「Permian」で演奏します。

8月18日(土)20:00 tamaru/池田謙/石原雄治
 池田さんとのデュオを予定
8月24日(金)20:00 tamaru/straytone/増渕顕史
 tamaruソロとトリオを予定

Permian Crossing 8/17~8/25
大上流一 (guitar)
池田謙 (electronics)
入間川正美 (cello)
石原雄治 (drums)
岩瀬久美 (clarinet.sax) 【from France】
増渕顕史 (guitar)
Straytone (modular synthesizer)
tamaru (bass guitar)
Hugues Vincent (cello) 【from France】
各日の出演組合せ詳細はこちらの8月スケジュールをご覧ください。

naturalis historia

「naturalis historia」 tamaru
A4判 本文84頁 マットコート紙128g/㎡

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このたび書籍というのか、アートブック的なものを刊行します。著作者は私ということになりますが、実は偶然の産物で、以前使っていたレーザプリンタが吐き出した文字化け的なエラー出力を捨てず、とっておいたものなのです。これを一冊の本にしよう、と思ってから四年くらい経っています。そのレーザプリンタはすでに廃棄処分しました。

プリンタが壊れているのか、プリンタドライバが壊れているのか、詳しいことはわからないんですが、時々これが何十枚も出てきて、びっくりさせられました。ずっと止まらないので、プリンタの電源を止めて、再起動すると直るという。本冊子の内容は無加工・無編集で、私は保存した数百枚の出力紙から選り抜き、ページ順を考えて並べただけです。

文字化けというのは、本質的にグローバルランゲージと言えるわけで、あるいは、人間と機械をつなぐ無意識の世界を示しているのかも知れません。しかし、これを眺めていると、笑えるところもあり、ドラマティックなところも、静かな情感を感じるところもあり、偶然の産物にしては出来過ぎじゃないかとか、いろいろ考えます。

tamaru
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来たる7/8下記イベントで、本冊子予価1,500円を特別価格1,000円にて先行販売します。

「tamaru “naturalis historia” 刊行記念イベント」
・tamaru
・大上流一
・christophe charles (各者ソロ演奏)
日時:2018年7月8日(日)open 19:00/start 19:30
料金:2,000円(1drink付)
会場:東北沢「otooto」 世田谷区北沢3-13-10地下1F

即興の合奏

「それぞれが固有でしかも開かれている事によって、それぞれの固有性のままに実現してゆく開かれた即興の合奏」という金科玉条。これが40年前に間章が発した言葉だと知らずとも、自覚的に・無自覚的にこうした方向性を「解」とし、自らの演奏における安定基盤とする向き。実は呪縛を感じてきた。

それがどのような呪縛か、うまく言葉にすることができずにいるが、この金科玉条あるいは「解」にある種の条件漏れがあることは確かだ。そこを照らす光として、福島恵一さんが書かれた「即興的瞬間」という言葉がいかに重要か。私がソロ演奏を自らの本分としていること、その本質である。そして「即興の合奏」において、私は今「伴奏意識」に興味がある。

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家みたいなもの

演奏には「家みたいなもの」が必要。「間合い」という言葉もあるが「家みたいなもの」という方が気張らなくていい。「家みたいなもの」を作ることで、はじめて届けられるものがある。

tamaru

弦の表面で

ベースという楽器の特色として、弦の表面積が大きいということが挙げられる。弦の表面でいろいろなことが起きている。

演奏はコミュニケーションではない。しかし即興的な要素のある演奏は、時にコミュニケーションの気分が生じがちだ。自分はそれを徹底的に拒絶し、排除している。

tamaru

鳥五十木

tamaru live april/may 2018

4/21 sat 上池袋anoxia
tamaru+加藤裕士 duo & talk

5/13 sun 水道橋ftarri
tamaru solo
大城真+すずえり duo
lars lundehave hansen solo

5/20 sun 吉祥寺kichimu
tamaru+津田貴司+松本一哉 trio
anil eraslan+さがゆき duo
opening session

tamaru

音量

演奏者の音量の問題は、音質の問題に比べて見過ごされがちだ。明確な音量方針を持ち、的確な音量コントロールができるなら、おそらく非凡な演奏者だろう。それは自分の表現が目指すものを強固に自覚していないと出来ないことだから。

tamaru

クリスマス2017

すでにサンタクロースの正体は知っているらしく「今年は何がほしいかサンタさんに手紙書かないの?」と促しても動かず。それでも暗黙の了解というのも維持すべきと思っているようで、曖昧なまま何となく直接交渉と相成った。

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OVERHANG-PARTY

1989年の暮れに買った「ラストデイト」というCD。それから28年間、さほど熱心な阿部薫信奉者でもないのに、いつの間にか自分でも驚くほど多くの阿部作品がCD入れに収まっている。購入した時の気分がさっぱり思い出せないものも多い。まるで、生きていくうちに心の底に溜まった澱のようではないか。

このところ何度目かの阿部薫再聴期を迎え、それらの音に触れるうちに、また一つ入手したくなったのが「OVERHANG-PARTY」。これは出逢ってよかった!「NORD」「JAZZ BED」といったデュオ作は、それぞれ美点はあっても、やはり彼のソロ演奏が持つ魅力を再認識させられるところがあったが、豊住芳三郎の優れた共演を得た本作は、それらと次元が異なる作品と言える。

阿部が自らの音楽的変化を宙に献じ、その個/孤たる美しさを豊住がいささかも損ねることなく、同化とも異なるしなやかな音像を投じて受け止めた「OVERHANG-PARTY」。録音も素晴らしい!もしかしたら阿部にとって、吹奏楽器以外は一種ガジェット扱いだったかも知れないが、それらギター、ピアノ、マリンバの演奏が心に残す光跡の清さ。狂おしい影を映すハーモニカ。そしてクラリネットとサックスの、蝋燭の火の穂のような輝き。

新しいなあ。常に新しいということ。2018年は自分も新たなイベントシリーズを始めるつもりだ。

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