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即興の合奏

「それぞれが固有でしかも開かれている事によって、それぞれの固有性のままに実現してゆく開かれた即興の合奏」という金科玉条。これが40年前に間章が発した言葉だと知らずとも、自覚的に・無自覚的にこうした方向性を「解」とし、自らの演奏における安定基盤とする向き。実は呪縛を感じてきた。

それがどのような呪縛か、うまく言葉にすることができずにいるが、この金科玉条あるいは「解」にある種の条件漏れがあることは確かだ。そこを照らす光として、福島恵一さんが書かれた「即興的瞬間」という言葉がいかに重要か。私がソロ演奏を自らの本分としていること、その本質である。そして「即興の合奏」において、私は今「伴奏意識」に興味がある。

tamaru

家みたいなもの

演奏には「家みたいなもの」が必要。「間合い」という言葉もあるが「家みたいなもの」という方が気張らなくていい。「家みたいなもの」を作ることで、はじめて届けられるものがある。

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弦の表面で

ベースという楽器の特色として、弦の表面積が大きいということが挙げられる。弦の表面でいろいろなことが起きている。

演奏はコミュニケーションではない。しかし即興的な要素のある演奏は、時にコミュニケーションの気分が生じがちだ。自分はそれを徹底的に拒絶し、排除している。

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鳥五十木

tamaru live april/may 2018

4/21 sat 上池袋anoxia
tamaru+加藤裕士 duo & talk

5/13 sun 水道橋ftarri
tamaru solo
大城真+すずえり duo
lars lundehave hansen solo

5/20 sun 吉祥寺kichimu
tamaru+津田貴司+松本一哉 trio
anil eraslan+さがゆき duo
opening session

tamaru

音量

演奏者の音量の問題は、音質の問題に比べて見過ごされがちだ。明確な音量方針を持ち、的確な音量コントロールができるなら、おそらく非凡な演奏者だろう。それは自分の表現が目指すものを強固に自覚していないと出来ないことだから。

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クリスマス2017

すでにサンタクロースの正体は知っているらしく「今年は何がほしいかサンタさんに手紙書かないの?」と促しても動かず。それでも暗黙の了解というのも維持すべきと思っているようで、曖昧なまま何となく直接交渉と相成った。

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OVERHANG-PARTY

1989年の暮れに買った「ラストデイト」というCD。それから28年間、さほど熱心な阿部薫信奉者でもないのに、いつの間にか自分でも驚くほど多くの阿部作品がCD入れに収まっている。購入した時の気分がさっぱり思い出せないものも多い。まるで、生きていくうちに心の底に溜まった澱のようではないか。

このところ何度目かの阿部薫再聴期を迎え、それらの音に触れるうちに、また一つ入手したくなったのが「OVERHANG-PARTY」。これは出逢ってよかった!「NORD」「JAZZ BED」といったデュオ作は、それぞれ美点はあっても、やはり彼のソロ演奏が持つ魅力を再認識させられるところがあったが、豊住芳三郎の優れた共演を得た本作は、それらと次元が異なる作品と言える。

阿部が自らの音楽的変化を宙に献じ、その個/孤たる美しさを豊住がいささかも損ねることなく、同化とも異なるしなやかな音像を投じて受け止めた「OVERHANG-PARTY」。録音も素晴らしい!もしかしたら阿部にとって、吹奏楽器以外は一種ガジェット扱いだったかも知れないが、それらギター、ピアノ、マリンバの演奏が心に残す光跡の清さ。狂おしい影を映すハーモニカ。そしてクラリネットとサックスの、蝋燭の火の穂のような輝き。

新しいなあ。常に新しいということ。2018年は自分も新たなイベントシリーズを始めるつもりだ。

tamaru

名前の由来

私はなぜ「tamaru」と名乗っているかというと、もちろん姓がタマルだからなのだが、1990年前後に演奏や音源の自主制作を始めた頃は、姓名を名乗っていた。ある時、カセットテープ作品のジャケットに「tamaru」という文字を強調したデザインをあしらったら、その作品を店に置いてくれた池袋西武アール・ヴィヴァンの五十嵐さんが私の活動名義だと思ったらしく、雑誌のレビュー欄に紹介してくれた時に「tamaru」というアーティストとして扱われたのだ。それで「tamaru」でいいや、となったわけ。

tamaru

一度だけ

自分の演奏は、何度も観てくれる人もいるけど、やはり一度しか観ない人の方が多いだろうから、そのことを意識して演奏する。大事にしたい意識なのに、いつのまにか忘れていて、ふと、あぁそうだったと思い出す。

11月11日の演奏は、そんな意識の中で自分の立ち方がしっかりしたのか、大きな手応えが感じられた。この晩秋の夜、スティルライフの物音による語りかけがお客さんを包み込み、大上さんのギターの鳴りから鮮烈な多幸感が拡がって、それに続く機会を得ての充実だった。

少々変わった試みもあり。会場PAを使うのは自分だけで、スティルライフは生音、大上さんもアコギのみ。それで思いつきを試させていただき、会場PAのスピーカを左右でなく、客席をはさむ形で前後に配置してみた。つまり一つはステージで演奏する自分の側、もう一つは客席の後方に。いい効果を生んだと思う。

多くの方に演奏機会をいただく。その一つひとつが有り難く、大切に演奏する。そうした中でも、やはり自分が最も「懸けている」のはソロ演奏なのだ。ここ10年ほどはそんな気持ち。

ところで、一度だけ聴いてくれるオーディエンスへの意識というのは、ライブだけでなくCD作品にも言えるのではないか。もちろん繰り返し聴かれるCDとして作る。でも一度しか聴いてくれないとしたら、何を伝えたい?そこを考える。CD作品は何度も聴いてもらえる、という思い込みを捨てる。これは今まで気がつかなかった視点だ。

tamaru

とりいそぎ

細かくお知らせする時間なくて、とりいそぎ
http://www.sahoux.net/archives/54091557.html
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