sahoux

即興的な演奏におけるダイナミクスの解像度

このところ自分の演奏に備えたい要素として、口下手まる出しに「伴奏感覚」「伴奏的な感じ」と言ってきた事柄について、一旦まとめておく。

即興的な演奏、特にノンイディオマティック志向の中では、音色にその質を問う姿勢がおおむね自己モデルとして適う、と感じてきた。しかし昨年くらいから、「音色が呼び交わすフラットな拡がり」の先にある豊かさを捉え、そこに向かいたい気分が熾ってきた。

その豊さの所在の一つとして感じられるのが、ダイナミクスの解像度というテーマで、これには音色の問題も含まれてくる。(ダイナミクスの振幅でなく、解像度であることを強調したい)

すなわち音の表情の細やかさから生じる心の動きを、即興的な演奏は聴き手とどのように分かち合えるか、というテーマである。

ここで一つ、即興的な演奏の場合、ソロに比べて集団演奏の方が、ダイナミクスの解像度は低下しやすいだろうという考えが浮かぶ。全体のダイナミクス(の高解像度化)に寄与する動きが、個々の即興性やノンイディオマティック志向によって制限されるから。

それを打開する方向性として、自分なりに「伴奏感覚」「伴奏的な感じ」を備えたいと、稚拙な言葉で表現していたのだと思う。

そして考えを進めるならば、この「伴奏感覚」「伴奏的な感じ」は、集団即興だけでなくソロ演奏においても意識すべきテーマとなる。なぜならば、ソロ演奏においても「その音楽が備えるべき」ダイナミクスの解像度への寄与、という課題があるはずだから。

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acoustic bass (guitar)

acoustic bass (guitar) を画像検索すると、特に海外の楽器でユニークなデザインのものが出てくる。そのユニークさは、ギターサイズでベースらしい低音を出そうという試行錯誤によるところが大きいのだろう。動画で聴く限り十分な成果につながっている例は少ないようだが、楽しいからいいじゃないか。この年末年始は、そんな過ごし方だった。

楽器の設計・造形は、ビルダーそれぞれが独自の理論あるいは伝統的な理論を究めたものだと思うけど、理詰めだけではなくて、そこから外れた飛躍がある楽器が面白い。それこそが人の剥き出しの夢というものでしょう。

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自分ザニューチャプター

ジャズザニューチャプター人気からはるか遠く、ひっそり自分ザニューチャプターへの更新を果たした今年。いや、更新が身に降りかかってしまったというのが正しい。これは止むに止まれぬもので、10月に自分の楽器をアコースティックベースに改造し始めるまで、変化の年になるとは全く思わなかったのだ。

音にまつわる出来事として、今年の大きなトピックスは「anoxia」「Permian」という、志あるスモールスペースの始動だ。しかし「anoxia」と「Permian」は、ほぼ同じタイミングで生まれながらも性格がかなり異なると思うので、「anoxia」については別の機会に述べたい。

「Permian」の革新は、音の「送り届け」を至近で受ける特異体験を客席10名の鎮静的劇場として成立させたこと。これに尽きる。それは、スモールスペースの先駆である「OFF SITE」「loop line」から「Ftarri」「OTOOTO」が引き継いだ要素の、さらに先にあるものだろう。

個人的には「Permian」における「送り届け」を目の当たりにした時、「鳴らし/聴こえ」といった言葉でさえも、その高踏から逃れたいと感じさせるものとなった。たぶん、これが自分ザニューチャプターの背景だと思う。

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アコースティック・ベースギター

アコースティック楽器によるアンプラグド演奏というのは、実はずっと気にかけてきたテーマで。あこがれてきたというか。今年観聴きしたいくつかの優れたアコースティック演奏が刺激になり、ついにそこに着手することにした。それで今回やったことが、エレクトリックベースのアコースティック化。アコースティック楽器の電化は珍しくないが、逆をやる演奏者はあまりいないだろう。ましてやベースの世界では。

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改造したのはこのフレットレスベース。フジゲン製の一本物、楽器フェアに参考出品された現物。1997年に買って2009年まで活躍してもらった愛機。その後は9年間ハードケースに入れて押入れに封印していた。セミホロウボディのウッディなフレットレスなのに、使っていた頃はディレイを使ったドローンベースしか演奏しなかった。しかも「鳴りが邪魔」とか言って内部にウレタンを詰め込んだりして。まさか後年まったく真逆の改造をするとは。

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電気系統すべて取り除いたら思った以上に軽くなった。エレアコとして残す手もあったけど、まあ退路を断つということで。ジャック穴までパテで埋めたりして。

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初めて開けたピックアップカバーの下には、何とジャズベタイプのピックアップが2本並んでいた。ハムバッキング効果あったのかな。割とノイジーだったけど。リア側のピエゾピックアップの方はブリッジ一体型というか、ブリッジの駒自体がピエゾなので、配線をニッパーでプチっとね。

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サーキットが入っていた背面の空洞。この開口部分を覆うように大きな木製ボウルを接着し、胴を足した。

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こんなことしていいんだろうか。これで鳴りを稼ぐ。といっても、さほど大きな音にならないのは、もちろんわかっているが。一説には、アコースティックギターをフルに鳴らすボディは20リットルの容積が必要だとかいうから、ベースだったら40リットルくらいは必要だろうし。

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一番悩んだのがサウンドホールの大きさと数、位置をどうするか。結局4つ開けたんだけど、穴を開けるほど出音が大きくなるわけでもなく、振動板としての表面積が少なくなる。いろいろ調べまくったけど、こんなのやってみなきゃわからないよ。穴はゴム塗料で縁どり。強度不足部分は裏からパテで補強。

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というわけで出音は大きくないが、サスティンが結構長くてよく伸びる。サウンドホールからホワホワした倍音が出ているのがわかる。ピックアップのザグリは木板で塞いでいるが、ここはデザイン的にもう一工夫する予定。

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(追記)もう一工夫しました。バルサ材を重ねて黒く塗ったラジエーター風のスリット。出音にはほとんど影響を与えないでしょう。すっかりプラモデル感覚の改造工作でデザインに執着した。

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このアコースティックベースギターのお披露目は、11/25日曜の夜ペルミアンで。どんな音か聴きに来てください。対バンは杉本拓さんにお願いしました。ソロ×ソロです。お楽しみに。

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god blessed blog

このブログは、3年前に足を患わって安静にしていた時期に書き始めた。初回記事は、肉離れと痛風と蜂窩織炎が同時に左足を襲ったという、あまりにも稀有な当時の体験について書いたのだが、いまだにこの記事が常時アクセス数トップなのだ。だいたい音楽のことなどを書いており、身体とか健康とかの記事は少ないですよ。

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鳥五十木、鳥五十木

演奏行為を奉じる祠のような鎮静空間「Permian」で演奏します。

8月18日(土)20:00 tamaru/池田謙/石原雄治
 池田さんとのデュオを予定
8月24日(金)20:00 tamaru/straytone/増渕顕史
 tamaruソロとトリオを予定

Permian Crossing 8/17~8/25
大上流一 (guitar)
池田謙 (electronics)
入間川正美 (cello)
石原雄治 (drums)
岩瀬久美 (clarinet.sax) 【from France】
増渕顕史 (guitar)
Straytone (modular synthesizer)
tamaru (bass guitar)
Hugues Vincent (cello) 【from France】
各日の出演組合せ詳細はこちらの8月スケジュールをご覧ください。

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「naturalis historia」 tamaru
A4判 本文84頁 マットコート紙128g/㎡

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このたび書籍というのか、アートブック的なものを刊行します。著作者は私ということになりますが、実は偶然の産物で、以前使っていたレーザプリンタが吐き出した文字化け的なエラー出力を捨てず、とっておいたものなのです。これを一冊の本にしよう、と思ってから四年くらい経っています。そのレーザプリンタはすでに廃棄処分しました。

プリンタが壊れているのか、プリンタドライバが壊れているのか、詳しいことはわからないんですが、時々これが何十枚も出てきて、びっくりさせられました。ずっと止まらないので、プリンタの電源を止めて、再起動すると直るという。本冊子の内容は無加工・無編集で、私は保存した数百枚の出力紙から選り抜き、ページ順を考えて並べただけです。

文字化けというのは、本質的にグローバルランゲージと言えるわけで、あるいは、人間と機械をつなぐ無意識の世界を示しているのかも知れません。しかし、これを眺めていると、笑えるところもあり、ドラマティックなところも、静かな情感を感じるところもあり、偶然の産物にしては出来過ぎじゃないかとか、いろいろ考えます。

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来たる7/8下記イベントで、本冊子予価1,500円を特別価格1,000円にて先行販売します。

「tamaru “naturalis historia” 刊行記念イベント」
・tamaru
・大上流一
・christophe charles (各者ソロ演奏)
日時:2018年7月8日(日)open 19:00/start 19:30
料金:2,000円(1drink付)
会場:東北沢「otooto」 世田谷区北沢3-13-10地下1F

即興の合奏

「それぞれが固有でしかも開かれている事によって、それぞれの固有性のままに実現してゆく開かれた即興の合奏」という金科玉条。これが40年前に間章が発した言葉だと知らずとも、自覚的に・無自覚的にこうした方向性を「解」とし、自らの演奏における安定基盤とする向き。実は呪縛を感じてきた。

それがどのような呪縛か、うまく言葉にすることができずにいるが、この金科玉条あるいは「解」にある種の条件漏れがあることは確かだ。そこを照らす光として、福島恵一さんが書かれた「即興的瞬間」という言葉がいかに重要か。私がソロ演奏を自らの本分としていること、その本質である。そして「即興の合奏」において、私は今「伴奏意識」に興味がある。

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家みたいなもの

演奏には「家みたいなもの」が必要。「間合い」という言葉もあるが「家みたいなもの」という方が気張らなくていい。「家みたいなもの」を作ることで、はじめて届けられるものがある。

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弦の表面で

ベースという楽器の特色として、弦の表面積が大きいということが挙げられる。弦の表面でいろいろなことが起きている。

演奏はコミュニケーションではない。しかし即興的な要素のある演奏は、時にコミュニケーションの気分が生じがちだ。自分はそれを徹底的に拒絶し、排除している。

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